声、二匹目
ざらめに負けず、ぼんもよく鳴く子だ。
うちに来てから鳴く事を教わったのかと考えたが、保護して二匹の顔合わせをする前からみゃーみゃーと鳴きながら寄ってきていたので、もともとの性格なのだろう。
まだ小さいからか声もそれほど大きくないので、かわいいものだと思える。(ざらめだとそうはいかないが)
そんなぼんだが、少し変わった鳴き方をする。
口を閉じたまま鳴くのだ、「んー、んー」みたいな風に。小さな子供の駄々っ子の様なその鳴き方は彼の性格が表れてるようで面白い。
そんな二匹だが、よく猫飼いあるあるのサイレントにゃーには出会えない。
律儀に毎回声を発して鳴いてくれるのは嬉しいが、一度ぐらいは見てみたいのだけれども。
猫の鳴き声、「にゃーにゃー」、海外だと「メオンメオン」「ミャウミャウ」「ヤオンヤオン」など人の言葉に文字で当てはめるとこんな感じだが、実際はそれぞれ個性的で「にゃーにゃー」とは聞こえない。
はっきり意味意図は分からないけど、怒ってる、喜んでる、甘えてる、寂しんでる、様々な感情がこもった「€€♪%〆→〜」という文字にできない声が今日も響いている。
声
うちの猫達はよく鳴く。
だが、それぞれの個性がある鳴き声だ。
ざらめは声が大きい。ほんとに大きい。
「にゃー」というより、時には「わぁーー!」と言ってるように聞こえる、ご飯が欲しい時、かまって欲しいとき、お風呂に入る為に部屋を出たとき、だいたい常に鳴いてる。
相手をしないでいると、その声はどんどん、ガラが悪くなる。「わぁー」が「あぁ〜ん」にさらに「おぉ〜ぉん」と低く大きくなっていく。
飼い始めてすぐの頃は、何か異常ないかと心配になったほどだ。
家に帰ってくると、廊下を挟んだ部屋のガラス戸の向こうで鳴き始める。鞄置いたり、靴を脱いだり着替えたりの間もずっと鳴いてる為早く早くと急かされる為、帰宅時はバタバタだ。
猫が鳴くのは人間に対してだけで、何か訴えたいことがあるらしい。
言葉が通じる良いなと考えることもあるが、おそらく愛情表現で鳴き、寄ってきてくれてるのだと思うと共通言語だとその愛の重さに耐えられるだろうか。
コーヒの日
10月1日はコーヒーの日。
というわけでもないが、昨日コーヒの焙煎をしました。
自家消費用(以前は販売用にも)自家焙煎を数年ほど続けている。
生豆をwebで問屋さんから購入し、隔週で200gずつほど焙煎、酸化する前に飲み切る。
コーヒーが好きでどうすれば一番コストパフォーマンス高く飲めるか考えて、この方法は今のところベターだと落ち着いた。
もちろん、外で喫茶店、カフェも行くし、コンビニコーヒーも買う、なんなら缶コーヒーも好きだ。
ただ自分の好みの豆を好みの焙煎具合で好きなだけ(比較的)リーズナブルに飲めるので、メインはこの自家焙煎コーヒーを日常で飲んでいる。
好みはラテンアメリカのさっぱりした酸味のある豆を、深煎りする。アジア産の豆よりボディは弱めなので苦いけど後味は割とさっぱりで冷めても飲みやすい。
と、こんな風に書いてはいるが、毎回焙煎具合はブレるし、ハンドピックもせず、チャフも除去しきってはないのでこだわりきってるわけでもない。
要は自分が美味しいと思うものが楽しめたらいいぐらいの感覚になっている。
最近、歩いて数分のところに新しいコーヒー屋さんができた。他府県のあるコーヒー屋さんの支店で本店にたまたま行った事があったので、テイクアウトでアイスコーヒーを買ってみた。
「美味しい!』そう一言目で思わず言うくらい美味しかった。
コーヒが苦手な奥さんも美味しいと言うぐらいに。
焙煎機の質も焙煎のHow-toも生豆の質もその他違うものはたくさんたくさんあるのだろう。
だが、何より美味しいもの(優れた商品)を誰かに届けるための熱意があるかどうかが何より違うのだと思う。
普段、自分で焙煎しそれなりに美味しいと感じて飲んでいるが、もしかすると、もっともっと美味しくできるかもしれない。
コーヒーしかり、その他もしかり、日々の仕事、作業に少し反省と気力をもらった。
人気者。
月に数回、山に登る。
近所の数百メートルの山から県内の1000m程度までで本格登山というわけではなく、日帰りのアクティビティ感覚の趣味だ。
登り終え帰宅すると、猫達は外の匂いか登山靴の中で凝縮された足の臭いか、スンスンスンスンと足元にへばりついてくる。
人気芸能人の囲み取材のように。
ノミやダニを持ち込まないように気をつかってはいるが、それでも過剰な出迎えには少々ドキドキしてしまう。
2匹とも元野良の保護猫だが、今は室内猫で外には出していない。
出会った人の中には、そんなの可哀想だという人もいるし、その方が安心だねという人もいる。
猫の飼い方本や雑誌では完全室内飼いを推奨する内容が多いとは思うし、その内容は共感している。
屋外で交通事故に遭ったら、他の野良猫と喧嘩して怪我したら、その時に病気を移ってしまったら、迷子になって帰って来れなかったら、考え始めると心配は尽きない。
ただ、それでも外の世界で自由に歩き走り、跳び回っていた彼らを小さな家の中だけの世界で完結させてしまっているのは果たして幸福なのかと考えてしまう事もある。
月に数度の山登りは日々のモヤモヤした考えや思いが少し晴れ、心が明瞭になる。
道とはいえないような、でも人や獣が歩いた跡を一人登っていると、そこがどんな小さな山でも普段とは別の領域にいるような錯覚になる。
猫達も、そういったリフレッシュがないのはストレスが溜まってしまうのだろうか。
ひとしきり足元のチェックを終え、膝の上でゴロゴロ言い始めたざらめと、まだ足に蹴りを入れているざらめを見ながら、今彼らは幸せと感じているかなと、またそんな、外がいいとか家の中がベストだとかいう悩みも人間の勝手な考えに過ぎないのではないかと、色々と思考の迷宮に入り込む。
風を感じる。
バイクを乗りたいなと考えた。
それはわりとずっと昔から考えてはいたが、実際免許取って、バイク買って、保険やらなんやらと諸々めんどくさくなりいつも後回しにしていた。
昨年早春、ふと今までしたいけど、興味あるけどやってなかったことを消化していこうと思いたち、その日に教習所に申し込みを行った。
重たくなる話だが、人間いつ死んでしまうかわからない。自分の人生の折り返しももう過ぎている。
そんな事を気づかされる出来事があったからだろうか。
値段につられた他府県の教習所に、週一で通い、10代の彼ら彼女らに交じって、たまにいる同年代かそれより上の方に絡まれたりで無事普通自動二輪免許を取得できたのは3ヶ月ほど後だった。
暑いから、寒いから、雨が降りそうだから、いろんな理由であまり乗れてないが、車より自由で、自転車よりもパワフルな二輪自動車はそれでしかできない経験を毎回与えてくれる。
整理整頓
猫を飼っていて、良い事は。
色々とあるが、大きな一つは部屋が片付く事だと思う。
強制的にだが。
例えばペットボトルの蓋をテーブルの上に置く。
1分後にはサッカーが始まる。
例えば届いた郵便物の封筒をデスクに置くと。
気づいた時にはシュレッダーがかかってる。
彼らはあらゆる「でっぱり」を目敏く見つけ引き、千切り、蹴り、投げ飛ばす。
新婚の頃、ペアで揃えた食器の多くは今やシングルになった。
それでも、油断するとボックスティッシュの発掘現場を朝起きると出会したりする。
インスタやユーチューブで猫飼いの人たちの家が映ると、綺麗に片付いていてすごいなと関心してしまう。
暮らすなら片付いた家が良いが、取り立てて綺麗好きでもない僕が奥さんに頻繁に怒られないの彼らのスパルタのおかげだろう。
でも、できればアイフォンの充電コードをこれ以上買わせないで欲しい。
猫との生活は楽しい
僕は割と飽き性な性格をしている。
ハマるとのめり込み、少しの間何をしててもハマってる事柄のことばかり考えて、そのうち落ち着いて、また時間をおいてハマりなおしたりする。
カメラもそんな趣味の一つだ。
フルサイズデジイチを買った時はこんなに被写界深度の浅く撮れる動画機能付きなら、映画みたいなかっこいい映像が作れるのじゃないかとワクワクしていた。
だが、カメラ自体なかなか持ち出すのもたいそうだなと考えたり、持ち出しても写真は撮っても動画をわざわざ撮る事はほとんど無かった。
そんな中、少し前にざらめとぼんの写真を撮っている時に何気なしに動画を撮ってみて、それを編集して奥さんに見せたりしているとその作業自体が楽しくなった。
下手の横好きな趣味ばかり増えるが、それでも新しい事をはじめたいと感じさせてくれるのは彼らの可愛さ、面白さ、意外性の高さの賜物なのだろう。
日々、想像していなかったイタズラで僕らを驚かせている。困ってしまう事も多いが。
今まで興味あるがしてこなかった事、後回しにしていた事、無理せず自分のペースで始めて続けていけると良いなと思う。