声、二匹目
ざらめに負けず、ぼんもよく鳴く子だ。
うちに来てから鳴く事を教わったのかと考えたが、保護して二匹の顔合わせをする前からみゃーみゃーと鳴きながら寄ってきていたので、もともとの性格なのだろう。
まだ小さいからか声もそれほど大きくないので、かわいいものだと思える。(ざらめだとそうはいかないが)
そんなぼんだが、少し変わった鳴き方をする。
口を閉じたまま鳴くのだ、「んー、んー」みたいな風に。小さな子供の駄々っ子の様なその鳴き方は彼の性格が表れてるようで面白い。
そんな二匹だが、よく猫飼いあるあるのサイレントにゃーには出会えない。
律儀に毎回声を発して鳴いてくれるのは嬉しいが、一度ぐらいは見てみたいのだけれども。
猫の鳴き声、「にゃーにゃー」、海外だと「メオンメオン」「ミャウミャウ」「ヤオンヤオン」など人の言葉に文字で当てはめるとこんな感じだが、実際はそれぞれ個性的で「にゃーにゃー」とは聞こえない。
はっきり意味意図は分からないけど、怒ってる、喜んでる、甘えてる、寂しんでる、様々な感情がこもった「€€♪%〆→〜」という文字にできない声が今日も響いている。
人気者。
月に数回、山に登る。
近所の数百メートルの山から県内の1000m程度までで本格登山というわけではなく、日帰りのアクティビティ感覚の趣味だ。
登り終え帰宅すると、猫達は外の匂いか登山靴の中で凝縮された足の臭いか、スンスンスンスンと足元にへばりついてくる。
人気芸能人の囲み取材のように。
ノミやダニを持ち込まないように気をつかってはいるが、それでも過剰な出迎えには少々ドキドキしてしまう。
2匹とも元野良の保護猫だが、今は室内猫で外には出していない。
出会った人の中には、そんなの可哀想だという人もいるし、その方が安心だねという人もいる。
猫の飼い方本や雑誌では完全室内飼いを推奨する内容が多いとは思うし、その内容は共感している。
屋外で交通事故に遭ったら、他の野良猫と喧嘩して怪我したら、その時に病気を移ってしまったら、迷子になって帰って来れなかったら、考え始めると心配は尽きない。
ただ、それでも外の世界で自由に歩き走り、跳び回っていた彼らを小さな家の中だけの世界で完結させてしまっているのは果たして幸福なのかと考えてしまう事もある。
月に数度の山登りは日々のモヤモヤした考えや思いが少し晴れ、心が明瞭になる。
道とはいえないような、でも人や獣が歩いた跡を一人登っていると、そこがどんな小さな山でも普段とは別の領域にいるような錯覚になる。
猫達も、そういったリフレッシュがないのはストレスが溜まってしまうのだろうか。
ひとしきり足元のチェックを終え、膝の上でゴロゴロ言い始めたざらめと、まだ足に蹴りを入れているざらめを見ながら、今彼らは幸せと感じているかなと、またそんな、外がいいとか家の中がベストだとかいう悩みも人間の勝手な考えに過ぎないのではないかと、色々と思考の迷宮に入り込む。
猫との生活は楽しい
僕は割と飽き性な性格をしている。
ハマるとのめり込み、少しの間何をしててもハマってる事柄のことばかり考えて、そのうち落ち着いて、また時間をおいてハマりなおしたりする。
カメラもそんな趣味の一つだ。
フルサイズデジイチを買った時はこんなに被写界深度の浅く撮れる動画機能付きなら、映画みたいなかっこいい映像が作れるのじゃないかとワクワクしていた。
だが、カメラ自体なかなか持ち出すのもたいそうだなと考えたり、持ち出しても写真は撮っても動画をわざわざ撮る事はほとんど無かった。
そんな中、少し前にざらめとぼんの写真を撮っている時に何気なしに動画を撮ってみて、それを編集して奥さんに見せたりしているとその作業自体が楽しくなった。
下手の横好きな趣味ばかり増えるが、それでも新しい事をはじめたいと感じさせてくれるのは彼らの可愛さ、面白さ、意外性の高さの賜物なのだろう。
日々、想像していなかったイタズラで僕らを驚かせている。困ってしまう事も多いが。
今まで興味あるがしてこなかった事、後回しにしていた事、無理せず自分のペースで始めて続けていけると良いなと思う。