昔、居た猫の話、続きの続き。
翌日、母が公営のペットの火葬場にクローバーを連れて行く為、彼の亡骸を小さな箱に入れて持ち上げ、車に積み込もうと外に出た時。
涙が溢れてきた、喋る事もできないくらいに、とめどなく涙が流れ続ける。
突然に、それまで泣くことも無く、ただクローバーが居なくなったことを冷静に受け止めていると自分では思っていたのに、子供みたいにわんわんずるずると泣いていた。
喋れない僕を見て、頷きながら同じように母も泣いていた。
あれから10年ほど経つが、未だに大人になってからあんなに泣いた事は無い。自分史上1番泣いた経験だ。
だけど、自分史上1番「悲しい」出来事かと問われたら、イエスとはならない気がする。勿論悲しい気持ちで泣いてたとも思う。
ただやっぱりこの時の気持ちは、悲しいや苦しい、喪失感から泣いてしまったと言いはめると、なんとなく、ほんとうになんとなくだけど自分のその時感じた気持ちを完璧に表してないように感じる。
会話や文章でのやりとりは難しい、感情をきちんと言語化して相手に伝えるのは難しい。
このクローバーの最期の話を誰かにするときにいつも感じる。
ノンバーバルコミュニケーションで気持ちを伝わるまで何度でも伝えてくるざらめやぼんを撫でながら、クローバーの事を思い返しながら、そんな事をぼんやりと考えて、また少し涙ぐんだ。