猫同士の相性
二匹猫を飼ってると、彼らの相性はどうなのか。
ぼんが来てざらめと対面させるまでは人間達が緊張しておっかなびっくりしながら日に数分ずつ顔合わせをしていた。
ネットで調べてみたり、人に聞いたり。
身体の大きな先住猫が子猫を取り返しのつかない怪我させたりなど心配になる情報も目にして、
まだ起こっても無い事に悲しくなったりしていた。
今も二匹が起きてるとよく相撲をはじめてどかんどかんとぶつかり稽古しているが、
数ヶ月一緒にいるだけにしては仲良く生活してくれていると思う。
2匹目の受け入れのコツはと聞かれたとしても、彼ら同士の相性でしょうか、
としか言えないぐらいに彼らなりのソーシャルディスタンスの縮め方は僕らには計り知れない。
僕たちにこの3年でたくさんの怪我を作ってきたざらめの牙と爪はまだぼんの柔肌を傷つけていない。
昔、居た猫の話、続きの続き。
翌日、母が公営のペットの火葬場にクローバーを連れて行く為、彼の亡骸を小さな箱に入れて持ち上げ、車に積み込もうと外に出た時。
涙が溢れてきた、喋る事もできないくらいに、とめどなく涙が流れ続ける。
突然に、それまで泣くことも無く、ただクローバーが居なくなったことを冷静に受け止めていると自分では思っていたのに、子供みたいにわんわんずるずると泣いていた。
喋れない僕を見て、頷きながら同じように母も泣いていた。
あれから10年ほど経つが、未だに大人になってからあんなに泣いた事は無い。自分史上1番泣いた経験だ。
だけど、自分史上1番「悲しい」出来事かと問われたら、イエスとはならない気がする。勿論悲しい気持ちで泣いてたとも思う。
ただやっぱりこの時の気持ちは、悲しいや苦しい、喪失感から泣いてしまったと言いはめると、なんとなく、ほんとうになんとなくだけど自分のその時感じた気持ちを完璧に表してないように感じる。
会話や文章でのやりとりは難しい、感情をきちんと言語化して相手に伝えるのは難しい。
このクローバーの最期の話を誰かにするときにいつも感じる。
ノンバーバルコミュニケーションで気持ちを伝わるまで何度でも伝えてくるざらめやぼんを撫でながら、クローバーの事を思い返しながら、そんな事をぼんやりと考えて、また少し涙ぐんだ。
昔、居た猫の話。続き。
クローバーが亡くなったのは、もう10年ほど前の事だ。
実家に戻り、働き出していたその頃の僕は自分の日々の生活に精一杯で、少しずつ弱る彼を直視できずにいたと思う。
老いとともに今までにない行動をとる姿は、悲しいや苦しい、せつない、どれもぴったりと表現できないなんとも言えない気持ちにさせた。
亡くなった当日も仕事だった僕は夜帰宅すると母が落ち込んだ表情で、クローバーの看取りをしていた。
その数ヶ月前からは、病院でも薬をもらったりしていたが、先生から暗に寿命ですからというような扱いをされたように覚えてる。
ぐったりの横になっていた彼は前脚だけで這うようにトイレに行こうとする。
「もうここのお布団でしちゃっていいのよ」そう言ってクローバーを撫でる母は泣いていた。
僕は何も言えず、何もできないでいた。
何も考えられず泣く事もできずぼんやりとクローバーを見ていることしかできなかった。
それから数十分後、彼は息を引き取った。
「ハシタニが帰ってくるまで頑張ってたんやね」母が言った。
「今日はクローバーと一緒に寝ようか」母の提案で2人と一匹はリビングで川の字なりその日は眠った。
明け方ご飯をせがむ声が聞こえてはこなかった。
昔、居た猫の事。
まだ中学生の頃、母が友人から猫をもらった。
元々飼っていた飼い主が1歳ぐらいになった彼を「子猫じゃなくなったから」という理由で動物病院に持ち込んだらしい。
当然先生は引き取りを断ったが、そのまま置いて行ってしまった。
その子を母の友人が一時預かりをし、母に相談、そしてうちに来た。
名前は「クローバー」、名付けたのは母だったか、僕だったかはっきりとは覚えてないが、名前の由来は彼の境遇を思いこれからは幸せに過ごして欲しいとの意味を込めて「幸運の四つ葉のクローバー」からとったのだけは覚えている。
長毛種であまり鳴かず、よく窓から外を見ている大きな丸い背中の子だった。
僕も可愛がったが、母が特に猫っ可愛がりしていた。
今でも思い出話でクローバーの事をよく褒める。
一人暮らしをしてたりとで、ずっとそばには居なかったが、実家に帰った時は甘えながらお腹を撫でさせるためのゴロンゴロンと転がって来ていた。
僕の猫(飼い猫)のイメージはクローバーがデフォだと思う。
ざらめやぼんを見ていてもクローバーと頭の中で比較している。
「クローバーより鳴く子だな」「毛玉が全然できなくて楽だな」etc
たくさん撮っていた彼の写真のほとんどがHDDが壊れた時に無くなってしまった。
いつか居なくなるざらめとぼんの思い出は写真として少しでも多く残したい。
ただ、記憶としては、1000万画素の画像ほど鮮明では無かったり、PC上の変更しないかぎり変わる事のないデータほど正確ではないが、彼との思い出はふわふわ揺蕩いながら、ぼんやりとだが優渥に今も残り続けている。
表情
猫は表情豊かな生き物だと思う。
特にざらめは、飼っている欲目なのかそれを日頃よく感じる。
ぼんが来てから、僕たちがそういう思いこみもあるせいか、疲れた表情をよく見る。
奥さんがよくいうのが、「ざらめはぼんちゃんと同じか、少し多く褒めてあげないとね。」
そんな風にに考えられて、それを周りに言葉にできる人と一緒に暮らせるのは幸運な事だと思う。
ざらめもぼんも考えている事を正確に理解しきる事は無理なんだと思う、
なんとなくそう見えるからこちらが勝手に当てはめてる事もあるだろう。
それでも、彼らが僕らと一緒に暮らすのを幸せと思ってくれるようにできるだけの事をしてあげたいし、
それを表情で感じれるような心の持ちかたを保ちたい。
午前4時のエンジン音
「ゴロゴロゴロ」よく使われる猫の喜んでいる時、リラックスしている時に喉がなる音。
正式には「ソーシャルソリシティテーション」というそう。
うちの小さい方の猫、ぼんは明け方起こしに来る時にその「ゴロゴロ」を鳴らしながら来る。
それも近づく前から鳴らしながらだ。「ゴロゴロ」というより「どぅるどぅるどぅる〜」と、新聞配達バイクのエンジン音のような音を出しながら。
最近は顔を舐めて起こされる前に、その音で半分目が覚める。
もう少し寝たい、と寝たふりをするが。
顔や足の裏、布団から出た体のパーツを舐め、噛み、決して諦めてくれない。
きっと彼の掛かったエンジンは一通り走り切らないとオフできない仕様なのだ。
その証拠に触れる肉球もベロも熱いくらいに熱をもっている。
その熱がありがたいと思える冬までは疾う疾うと降参してしまうだろう。
でも、人間も寝ないとそのうち倒れるのだよ。
猫について、その二
職場の事務所に迷い込んだのを保護したのが3ヶ月ほど前。
多頭飼いに漠然といいなあという思いはあったが、世話やスペースの問題でざらめだけで精一杯かなと考えていたのに。
一期一会、もしかしたら他の飼い主さんを探せば見つかったかもしれない(病気や怪我、トイレの粗相などの問題無く人懐っこさもある子猫らしい子猫だった)が結局うちで飼う事にした。
ぼんが来てざらめのことがまた少しわかった気がするし、ざらめと比べて全然違う性格だなとも感じる。
まだまだ子猫なので、元気にいろんなもの(人、猫)に体当たりでぶつかって学び遊んでるのを日々見るのは楽しい。
どんな猫かと人に説明する時に少し迷う。
「いわゆる子猫っぽい子猫です」無限の体力で遊んで、びっくりする悪戯をして、人にくっついてきたと思えば急に走り出す。
ただ、表情がざらめほどは僕たちは理解しにくい気はする、もう少し長く暮せばこの子の事ももっとわかってあげられるかな。